80's落語界事情

やまね

2007年12月09日 09:23

20数年ぶりに落語のことを思い出しながら書いていますが、
どうにも記憶がアヤフヤで、結構間違ったこと書いているかもしれません。
前回書いた木久ちゃんの「ソ連の金魚」の下りですが、間違いだったかも・・・

これは赤ん坊に対する比喩ではなく、与太郎が初めて鯛を見たときの台詞だったかも・・・
噺は何だったか思い出せないのですが・・・
時に間違った記述があるかもしれませんが、
趣味の範囲でのお遊びだと思ってどうぞ見逃してください。



私が落語にはまっていた1970年代後半から80年代中期の時分と申しますと、
↑言い回しが落語調になってる
東京では既に志ん生、円生の大名跡が亡くなり、
談志、円楽、志ん朝、柳朝が四天王と呼ばれていて油の乗り切った頃でした。

大御所では彦六(正蔵)、小さん、馬楽が健在、
若手では小朝、楽太郎あたりが売れっ子、
円鏡(円蔵)やさん平も大人気でしたが、
若くてトンガッテいた私は、「古典をちゃんとやらなくっちゃぁね」何て、
生意気なこと言ってました。

大阪の方では松鶴、米朝、小文枝(文枝)、春団治が四天王、
東京の四天王より少し上の世代のこの4人は芸風貫禄どれをとっても素晴らしく、
私はどちらかというと江戸落語よりこちらの上方落語により惹かれておりました。

それにその当時の江戸落語界、ちょっと揉め事が多かったんですよ。
円生一門が落語協会から脱退して騒ぎになっていたし、
談志は才気走り過ぎてハネちゃってたし、
油の乗り切ってる馬生が早世しちゃったり・・・

それに比べて上方の方は、一時他のお笑いに押されて絶えかけていた落語の火が、
これら四天王の努力で活気を取り戻し、
三枝、仁鶴、はお茶の間の人気者、
文珍、鶴光などもテレビ・ラジオで人気が出て、とても充実しておりました。

そうそう、この当時鶴瓶も東海ラジオのDJをやっておりまして、
名古屋では中々人気があったんですよ。
結局、あまり落語はやらないで今に至っているようですけどね・・・

だいたいにおいて、東京のように寄席の中では特別扱いの落語と違い、
大阪では漫才や喜劇としのぎを削り客の笑いをとらなければなりません。
江戸落語と上方落語を比べると、総じて上方落語のほうがにぎやかな演出になります。

江戸落語通の方からみれば、これが「クサクて粋じゃない」と映るのでしょうが、
名古屋在住ではなっから粋には縁のない私にとって、
上方落語はとてもとっつきやすく楽しいものでした。

もちろん江戸落語も大好きでしたが、
円生一門の語り口はともすれば田舎モノの私にとってキザで鼻に付いてしまいどうも聞き辛い・・・
言葉の響きというのは好みも文化の違いもあって、なかなか難しいものだと思いました。






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