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2007年10月03日
稲刈り終了
皆様にいろいろとお気遣いいただいた稲刈りですが、なんとか昨日中に終了いたしました。

田の広さは1反3畝、通常10俵は採れると人は言います・・・
素人には手に余る広さです。
この田で米作りをやらせてもらうようになって13年、
8俵採れたのが最高で過去1回、5~6俵取れた年が2~3回、
大体は3~4俵の収量ですが、
初年2俵、4年前には全部猪君にあげたので0俵・・・・・
今年はどういう風の吹き回しでしょうか、上々の収穫です。
いつもはハサが余ってしまってカッコウ悪いのに、
今年は「え?まだあるのぉ~?まいったなぁ・・」なんて、ナマイキな台詞がでてきます
しかしながら収量が多いおかげで日暮れ寸前、6時までかかってやっとハサ掛けが終わりました。
疲労困憊で腰が痛かったのですが、このまま寝てしまうと翌日は余計に悪くなる事が日頃の経験で解っています。
重労働で翌日に筋肉疲労や腰痛が残りそうな時は、一念発起で体を動かすにこしたことはありません。
有酸素運動とストレッチ効果の高いヨガとプールで疲労克服、
今日も朝から元気です!

田の広さは1反3畝、通常10俵は採れると人は言います・・・

素人には手に余る広さです。
この田で米作りをやらせてもらうようになって13年、
8俵採れたのが最高で過去1回、5~6俵取れた年が2~3回、
大体は3~4俵の収量ですが、
初年2俵、4年前には全部猪君にあげたので0俵・・・・・

今年はどういう風の吹き回しでしょうか、上々の収穫です。
いつもはハサが余ってしまってカッコウ悪いのに、
今年は「え?まだあるのぉ~?まいったなぁ・・」なんて、ナマイキな台詞がでてきます

しかしながら収量が多いおかげで日暮れ寸前、6時までかかってやっとハサ掛けが終わりました。
疲労困憊で腰が痛かったのですが、このまま寝てしまうと翌日は余計に悪くなる事が日頃の経験で解っています。
重労働で翌日に筋肉疲労や腰痛が残りそうな時は、一念発起で体を動かすにこしたことはありません。
有酸素運動とストレッチ効果の高いヨガとプールで疲労克服、
今日も朝から元気です!
2007年10月02日
ジュンチャン舞茸
コバさんオタクになっている私は、昨日のブログを拝見して、
「今夜はかしわ鍋!」と、決めていました。相変わらずミーハーな私です。
そして自宅へ戻ろうとした丁度その時、強力な助っ人が現れましたよ。

ご近所のジュンチャンが舞茸をくれたのです。
山中にて楢の木に植えつけたという限りなく天然物に近い舞茸。
巨大な株に成長し、すばらしい香りです。
さて、自宅に戻りますと、食卓には一心不乱に山栗の皮を剥く娘がおりました

もう一度、栗ご飯を食べたい一心です。
自分で採ってきてしまった重責もあるのでしょうか?
もう、小1時間格闘しているようです。
よしよし・・・この努力は決して無駄になることなく、娘の血となり肉となり肉となることでしょう。

舞茸の方は、風屋さんでとった骨付き地鶏と畑のネギ・春菊と一緒に鍋になりました。
最高の秋の味覚に感謝です

パワーをもらったところで、今朝は今から稲刈りを強行してまいります
途中で挫折するかもしれないけど・・・
「今夜はかしわ鍋!」と、決めていました。相変わらずミーハーな私です。
そして自宅へ戻ろうとした丁度その時、強力な助っ人が現れましたよ。

ご近所のジュンチャンが舞茸をくれたのです。
山中にて楢の木に植えつけたという限りなく天然物に近い舞茸。
巨大な株に成長し、すばらしい香りです。
さて、自宅に戻りますと、食卓には一心不乱に山栗の皮を剥く娘がおりました


もう一度、栗ご飯を食べたい一心です。
自分で採ってきてしまった重責もあるのでしょうか?
もう、小1時間格闘しているようです。
よしよし・・・この努力は決して無駄になることなく、娘の

舞茸の方は、風屋さんでとった骨付き地鶏と畑のネギ・春菊と一緒に鍋になりました。
最高の秋の味覚に感謝です


パワーをもらったところで、今朝は今から稲刈りを強行してまいります

途中で挫折するかもしれないけど・・・

2007年10月01日
農家のおやつ

以前、ご自身のブログでも「みょうがぼち・・うまい」と紹介されていたので、
どんなお味かと楽しみにいただきました。
米粉と小麦粉を練った皮で空豆の餡を包んだ、
素朴でありながら品の良い美味しいおもちでしたよ。
お餅に同封されていた栞には、美濃地方でよく作られていた農家のおやつとありました。
そういえば、友人が娘にプレゼントしてくれた「おばあちゃんのお菓子」という本にも、田植えの手伝いの人たちに振舞った「白玉団子の黒蜜がけ」というお菓子が、その由来とともに紹介されていました。
私の母は高知の農家の生まれです。子どもの頃連れられて母の実家に帰省しますと、いつも祖母が柏餅を作ってくれました。母の話ではこれも農家のおやつだったそうです。
米粉や白玉粉は、残米を臼で挽いてお菓子の材料に変身、練って火を通せばすぐに食べられるし、人数に応じて量も調整もしやすい、とても重宝な素材だったんだと思います。
農業が現代のように機械化されていなかった頃、田植えや稲刈りには多くの人手を要した事でしょう。母の実家も、農地解放以前はたくさんの小作さんがいて、祖母は母達娘を手伝わせながら、せっせとおやつを作ったそうです。
今のように安い袋菓子が簡単に手に入らない時代、農繁期の農家では、日本中どこでもこのようにしておかーちゃんがおやつを作り、それは重労働に従事する働き手の楽しみになっていたのでしょうね。
今では和菓子屋さんで買ってくるようになった「農家のお菓子」、いただきながらその由来に思いを巡らせ、「あ~、雨あがったら仕事おいといて稲刈りやなぁ~」と現実に引き戻された私でありました。