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2007年07月24日

my bagのこと

1990年~1991年にかけての冬、私は娘を産んで約1年、まだ仕事に全面復帰する前だったので、ボランティア活動や環境保護運動を通じてたくさんの人と知り合いになった。

その中から1991年4月、「地球と暮らしを考える会」(略してCKC)という小さなNGOが生まれ、活動の中心として買い物袋を作ることになった。



当時のメンバーは、今それぞれのジャンルで大活躍している方ばかりだ。その中のRさんが「買い物袋を作りたい」と思い立ち、試行錯誤の末できあがったこの布製のバッグは、スーパーのプラスティック・バッグ大と同じ形になった。

このバッグを作るにあたって、その目的は?と問われると、もちろん「ゴミの減量化を台所から!」「脱プラスティック」ということであったと思う。「ダイオキシン」や「塩素ガス」もプラスティックにまつわる問題点であったとは思うが、既にこの当時、この手のプラスティックはほとんどポリエチレンに移行しつつあったので、「脱塩ビ」はまた別の問題点としてとらえていたと思う。

ところが色々と調べてみると、全てのプラスティック製品の内、プラスティックバッグやラップ類、食品トレイ、ペットボトル等、食料品にまつわるプラスティックの占める割合は僅か10%前後。

実は、プラスティック製品の大半は建築用と農業用に供されていた。当時の資料を探したが見つからないので正確な数値を思い出せないが、確かどちらも30%台~40%台、すごい使用量である。早い話が建築と農業で全体の70%前後をを占めていたのだ。

「こんな現状の中で、買い物袋持参運動なんかやったって、単なる気休めじゃないの?」という考えが、少々頭をよぎったが、「脱プラスティック」を多くの人に認知してもらい、その奥にある問題点を掘り下げるきっかけとしては悪い切り口ではない。

スーパーに買い物に行く主婦のみならず、コンビニがこれだけ普及した現在では、老若男女が手にし目にするものだからだ。そして建築に携わる自分としては、大量のプラスティックを消費する建築業界に対して、気を引き締めて臨むきっかけにもなった。

この買い物袋、CKCバッグと名付け1000枚単位で何十回も作ったが、最初のうちは飛騨地区でなかなか普及せず、他地域からの注文ばかりで発送に追われていた。

最近ではスーパーマーケット各社がオリジナルのバッグを作ったり、雷鳥屋さんにもかわいいエコ・キャラクターバッグが置いてあったり、ずいぶんと普及してきて、私達の役割は終わったと感じている。

それどころか最近の各店舗、行政の対応をみていると、加速度的にmy bagの普及を急ぎだしたように感じる。石油の可採年数が後50年という終末的危機感が、やっとみんなのお尻に火を点けたんだろうか?

はっきりいって遅すぎる対応であった。しかし、まだあきらめてはいけない。ぎりぎりまであがき続けなければならない。自分達の子どものために、そして未だ見ぬ未来の子ども達のために、まだ出来ることは沢山あるはずだ。

日本は1994年「子どもの権利条約」に批准した。この条例は「世代間を越えた平等」という理念に貫かれているんだそうだ。

それは、例えば、
今の子ども達と、50年後の子ども達が等しく平等であるということ
50年後の子供たちが戦争や貧困や環境破壊によって、今の子供たちより不幸になってはいけないということ

を意味する。

それが故に「子どもの権利条約」「究極の国際平和法」であると、法律の専門家から聞いたことがある。

日本はこの条例に批准した以上、
決して戦争をしてはいけない
環境の破壊を食い止める義務を負う

そしてそれを担うのは、政府でもなければ行政でもない、私達自身だと思うのだ。  

Posted by やまね at 14:03Comments(3)環境の話